ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:相補的存在意義と臓器移植


歩く動作において
右足は
左足を必要とし
左足もまた
右足を必要とし
どちらか片方では
歩く動作はままならない


コップに手を伸ばす動作にしても
手だけが必要なわけではない
目もなければ
コップの取っ手に指がかかりはしない


様々な器官が
協調しながら動作して
生命活動が維持されている


このような協調の渦の中に
各臓器が巻き込まれ
それぞれの存在意義が語られる


だから
脳死状態の臓器には
その個体としての存在意義を認めず
取り出して
他の個体へと移植されることが
合法的なこととされたのだろう


存在意義は
他の存在との協調関係の渦の中にあるのだ


しばしば言われるように
人とのつながりの中に
生きる意義を見出すことも
これと同じことである


これを悲観的に表現すれば
組織の中で
協調的に働けば働くほどに
定年退職後に空虚感を味わうリスクが増大する
というような論調になるだろう


人間は
自分だけ良ければ良いという生き物ではないらしい


他人と協調関係にあることで
自らの存在意義を模索する生き物らしい


この生き物としての性質が
友好関係の環を広く強いものとする反面
敵対関係を
個人対個人のものから
集団対集団のものへ昇華させ
より広範囲で激しいものにしているようだ


このような性質の因果なのだろう
私の中で
個人としての私と
集団としての私が
葛藤を繰り返す


個人としての予定と
集団としての予定が
バッティングしてしまい
どちらの予定を実践しようか
迷い
葛藤を繰り返すのだ


私は
複数の協調の渦の中で
右往左往する存在らしい


様々に吹き込む
協調の渦の風に曝されながら
その風の中に生きる意義を見出しながら
自己肯定感を醸造し
命を長らえていくのだ


好き嫌いにかかわらず
世間という手術室の中で
協調の意義を多種多様に移植されなければ
私の体は
維持されてゆかぬようできているらしい


人間は
自分だけ良ければ良いという生き物ではないらしい


意義を移植しあう動物なのだ

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