ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:予言することの意義


人間は
未来を描き
その予定通りの未来が来ることを
楽しむようにできているようだ


ひいきのスポーツチームが勝つと予定しながら観戦し
その通りになると喜び
ならなければ悲しむ


さいころやルーレットの出る目を予想して
その通りになると喜び
ならなければ悲しむ


「あいつはこういうことをするだろう」
「あやつはこう言うだろう」
などと予想して
その通りになると鼻が高い


未来を次々と予言し
その予言がことごとく当たると
その予言者は賞賛される


しかし
男の子に向かって
「あなたのあごにはひげがはえてくるだろう」
と予言したり
オタマジャクシを指さし
「あの生き物はやがてカエルになるだろう」
と予言して
それが実現しても
賞賛されない


どうなるのかを
皆がわかっていることを予言しても
賞賛されず
どうなるかわからないところを予言して当てるから称賛される


多くの人がわからないことを
言い当てるから
賞賛されるのだ


科学の発達は
このような賞賛を追い風としているし
学習も
このような賞賛を追いかけて頑張るところがある


人間は
こうして
未来を予測する能力を
高めてきた


天気予報も
人工衛星からの情報が飛躍的に増加し
予報の確度も高まってきた


人間は
未来を描き
その予定通りの未来が来ることを
楽しむようにできているようだ


サギが
田んぼでオタマジャクシをつついている


サギは
そのオタマジャクシが
やがてカエルになることを知っているのだろうか?


私には
知らずに済ませてきていることがたくさんある


知る必要がないからあり
知る機会がなかったことでもある


逆に
知っていても役に立たない知識も
たくさんたくさん覚えてきたような気がする


むしろ足かせになった知識もあるだろう


知識を試しているのだから仕方なかろう


私が試されているのではない


知識が試されているのだ


だから
当たり前の知識は賞賛されず
新たな知識がいつも称賛され続ける


私がサギになったなら
私は空を
自由に飛ぶことに夢中になるだろう
そのために
知識を蓄えることではなく
私は身を軽くすることに腐心することになるだろう


軽々と
自由に
しがらみのない大空を駆け巡るのだ

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