予定と実践:予定の創造
予定とは何だろうか?
現実には未だ現れていない現象を
予め予定する
この能力により
生命はそれぞれの命を全うしている
*
今日の予定に
気分が軽くなる時と
気分が重くなる時がある
気分が重くなる予定に曝されていると
自分には自由がないと嘆きたくなる
逆に
気分が軽くなる予定に曝されていると
自分は幸せ者だと自慢したくなる
*
予定された現象の連鎖が円環を描き
連綿と承継されていても
実践されている現象は
何時だって
予定により描かれている大きな渦の
ほんの一部に過ぎない
永遠に続く循環の中に予定されていても
その予定の実践の一つ一つは
永遠ではない
*
予定があると
その実践が試される
その予定の設計上の持続性が試される
そして
その予定の実践可能性が試される
予定の創造に伴い
予定はその持続性を問われ続け
予定の実践においてはその実現性が問われ続けるということだ
生命の生存競争は
この二つの問いへの挑戦だ
*
工業製品も
その設計としての優秀さと
その設計に基づく製造能力が問われ続けている
正義も
その設計の優秀さと
その設計に基づく実践可能性が問われ続けている
予定と実践が分離して存在することにより
予定と実践が問われ続け
自然選択されてゆく
*
人間は
予定と現実を分離しながら
物事を観察している
この観察志向が
様々な二元論を直感している
心と物質
理想と現実
上手と下手
現象が循環して
また元に戻り周期を描き
持続性を高めてゆくために
予定の円環性と
その予定に忠実な実践が行われなければならない
この義務の履行のためだろうか
帰納法的な直感が働き
様々な二元論を直感している
同じと違う
善と悪
円環を描く善 と 円環を壊す悪
*
予定と実践が循環の渦を描き
世界を創造する
この世界の渦には縁がある
予定世界は
ホロン的に重層し
矛盾をはらみながら
多重に存在できるのだけれど
実践世界においては
予定世界のような矛盾は許されない
この矛盾を許容する予定世界と
矛盾を許容しない実践世界の間で
生命は
自己の循環としての利権を維持しようともがき続ける
競争者と相矛盾する現象を
相手の予定をさておき
自らの予定を実践しようと努力を重ねる
生きる苦しさ
生きる喜びがここから生まれる
*
予定とは何だろうか?
現実には未だ現れていない現象を
予め予定する
この能力により
生命はそれぞれの命を全うしている
予定がない世界はどのようなものだろう?
生命であることに慣れてしまうと
そんな世界は
きっと
面白くもない世界になるのだろう
予定は
創造されていなければつまらない
予定は
創らなかければ面白くないのだ
だからなのだろう
予定のない日はどこか空しい