ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:予定の創造


予定とは何だろうか?


現実には未だ現れていない現象を
予め予定する


この能力により
生命はそれぞれの命を全うしている



今日の予定に
気分が軽くなる時と
気分が重くなる時がある


気分が重くなる予定に曝されていると
自分には自由がないと嘆きたくなる
逆に
気分が軽くなる予定に曝されていると
自分は幸せ者だと自慢したくなる



予定された現象の連鎖が円環を描き
連綿と承継されていても
実践されている現象は
何時だって
予定により描かれている大きな渦の
ほんの一部に過ぎない


永遠に続く循環の中に予定されていても
その予定の実践の一つ一つは
永遠ではない



予定があると
その実践が試される


その予定の設計上の持続性が試される
そして
その予定の実践可能性が試される


予定の創造に伴い
予定はその持続性を問われ続け
予定の実践においてはその実現性が問われ続けるということだ


生命の生存競争は
この二つの問いへの挑戦だ



工業製品も
その設計としての優秀さと
その設計に基づく製造能力が問われ続けている


正義も
その設計の優秀さと
その設計に基づく実践可能性が問われ続けている


予定と実践が分離して存在することにより
予定と実践が問われ続け
自然選択されてゆく



人間は
予定と現実を分離しながら
物事を観察している


この観察志向が
様々な二元論を直感している


心と物質
理想と現実
上手と下手


現象が循環して
また元に戻り周期を描き
持続性を高めてゆくために
予定の円環性と
その予定に忠実な実践が行われなければならない


この義務の履行のためだろうか
帰納法的な直感が働き
様々な二元論を直感している


同じと違う
善と悪


円環を描く善 と 円環を壊す悪



予定と実践が循環の渦を描き
世界を創造する


この世界の渦には縁がある


予定世界は
ホロン的に重層し
矛盾をはらみながら
多重に存在できるのだけれど
実践世界においては
予定世界のような矛盾は許されない


この矛盾を許容する予定世界と
矛盾を許容しない実践世界の間で
生命は
自己の循環としての利権を維持しようともがき続ける


競争者と相矛盾する現象を
相手の予定をさておき
自らの予定を実践しようと努力を重ねる


生きる苦しさ
生きる喜びがここから生まれる



予定とは何だろうか?


現実には未だ現れていない現象を
予め予定する


この能力により
生命はそれぞれの命を全うしている


予定がない世界はどのようなものだろう?


生命であることに慣れてしまうと
そんな世界は
きっと
面白くもない世界になるのだろう


予定は
創造されていなければつまらない
予定は
創らなかければ面白くないのだ


だからなのだろう
予定のない日はどこか空しい

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