ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:正義の起源


生のCDと
音楽が録音されたCDには違いがある
しかその違いは微妙なもので
見た目にはわからない


むろん
触っても
わからない


そんな微細な違いが
CDプレイヤーによって
様々な音として現れる


このような
CD上の微細な物理的な形状の違いと
音との関係は
きっちりと予定されており
その予定に従い
音が
CDに書き込まれたり
CDから再生されたりする


CDの物理形状と
音の関係に誤りが生じると
予定されていた正しい音が再現されず
誤った音が実践として現れてくる


予定通りであると
正しく
予定通りではないと
誤りなのだ


予定されている規格通りの製品は合格で
規格から外れた製品は不良品だ



正義の起源に
予定と実践の分離がありそうだ


ただある様にある存在には
正しいも誤りもない


こうあるべきだと指定されると
実践において
正しいや誤りが生まれてくる


そして
予定としてのそのこうあるべきだが
正しいのか誤りなのかは
実践可能性等において
正しいや誤りが生まれてくる


正しい予定と
正しい実践が
円環を描き
周期的現象となり持続すると
正誤はその円環において
洗練されてゆく


予定と実践の総和としての
円環の維持が
試され
生命活動の淘汰選択が進行している


数多くの致死遺伝子が知られている


発生の途上で発生が立ち行かなくなるような
遺伝的欠陥が数多く知られている


生命維持に不可欠な遺伝子がたくさんあるから
これらの遺伝子に不具合が生じている致死遺伝子も
たくさんあるのは当然のことだ


正しい遺伝子をそれぞれの組み合わせで
持ち合わせているから
生きていられるようだ


それぞれの正しいを積み重ね
それぞれの円環の中で
積み重ね
それぞれの系譜を維持し続けてきた


これからも
系統樹の枝先で
それぞれの正しさを熟成してゆくだろう


あるいは
その正しさが
通用しなくなり
その系譜を絶滅させてしまうのだろう


正義にも
系統樹があり
その正しさを
それぞれの枝先で熟成させているようだ


おそらく
この系統樹の太い幹には
詳細のない
総和的な正義が鎮座しているのだろう


具体的にどうするか?はさておき
生き抜こうとする意志が
総和的な正義を支えているのだろう


俺が生き抜くのか
家族が生き抜くのか
民族が生き抜くのか
人類が生き抜くのか
生命が生き抜くのか


様々な生き抜く方策を求め
正義が
それぞれの系統樹の枝先で
たくさんの正しさを
様々な組み合わせで試行錯誤しながら
生き永らえ
具体的な正義を実践し続けている


生きなければ正義も試せない


こを背景にながら
生きやすさや
生きづらさが
様々な正義を
後押ししたり
あるいは
蔑ろにしたりしながら
正義は遷移し続けているようだ

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