ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:時間の制約、能力の制約


明日の今時分について
多様多彩な予定を
たくさんたくさん描くことができるが
実践するのは
その中の一つだ


時間が十分あれば
どの予定も
時間を分けて
実践することも可能ではあるが
時間に限りを設けると
予定のうちのほんの一部しか実践できない


この様に
予定には
時間の制限がない


それに能力の制限もない


できないことも
予定ならすることはできる


100mを10秒で走ることも
5mの川をジャンプしてわたることも
予定はすることができる


そうはいっても
鼻から無理だと思っていれば
予定すらしない


それでも
夢や妄想のように
無理なものでも
できるような幻想を描いてみたりする


実践における
時間の制約や
能力の制約も
予定に入り込むので
このような制約により
予定することができないと考えられることは
夢や妄想と
蔑まれてしまう局面が生まれる


このような蔑みの中で


「無理なものか
 やればできる」


時間の制約や
能力の制約を乗り越えようと
無茶な試みがなされることがある


人類の進歩は
このような試みと共に歩んできた


無理だと思っていたことを実現できると
無性にうれしいのは
人類の進歩を促すための感情なのだろう


このようなおかげもあって
人類の歴史は
人類の能力の増進の歴史でもある


歴史と共に
能力が蓄積されて来たのだ


生命の歴史も同じで
歴史の中で
能力が蓄積されて来た


この蓄積の恩恵の中で
今 生きている


そのことを忘れてはならない


言葉の歴史の古さは
たかだか数百万年に足りぬのだろう


命の歴史は数十億年だ


言葉は命を早々超えることはできぬだろう


命の従者として
言葉は能力を蓄積してゆくよりほかはない


言葉に従わなければならないが
言葉にも惑わされては決してならない


人生の意義や意味よりも
生き易さが肝心だ

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