ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

触媒と必然:意味や目的の在り処についての一考


化学工場で行われる化学反応は
原料がすべて意図した化合物になるのではなく
意図していない不純物もたくさん生成されてくる


そのあと
意図した化合物を
意図しない不純物から精製するのも
化学工場の大きな仕事だ


化学工場では
触媒を使い
原料の化学反応が
意図した化合物へと向かうように誘導し
その合成の蓋然性を高める


そのあと
高められた蓋然性から漏れた
偶然できた不純物を排除して
意図した化合物を高純度で手に入れているのだ


精製の過程も
例えば水溶性や親油性
沸点や融点などの
物質の性質を利用して行われる


目的となる物質が
何に触れるとどうなるのか
別の何かと触れるとどうなるのかを
知り
その物質を選り分けてゆくのだ


何と何が触れ合うとどうなるのか?


幾多のこの種の知識を積み重ね
適切な工程を設計し
それを実践して
化学工場の中で
原料が製品としての化合物の生産がおこなわれている


個々の工程が単独ではなし得ない
化合物の生産が
整えられた触媒環境の中を
次々と潜り抜けてゆく中で
原料は純度の高い化合物へと
必然的に生産されてゆくのだ


このようにして
創られた必然は
原料とその反応物によるものではなく
これらの物質を囲む環境によるのだ


化学工場は
原料やその反応物にとっての
大いなる環境だ


この環境の中で
原料が
必然的に
化学製品に育て上げられているということだ


このような意味で
化学工場は
触媒をを祖危機的に集合させた
大きな触媒だ


必然を産み続ける大いなる触媒だ


このような必然の創造が
意味であり目的であるならば
意味や目的は
原料やその反応物にあるんではなく
触媒にあるという風に考えられる


何になるのか?
ではなく
何を何に変えるのか?

意味であり
目的である


私は
何になりたいのか?


そこには
大きな意味や
大きな目的を見出すことはできぬのだろう


私は
何を何に変えるのか?


そこに
意味や
目的を見出さなければならないだろう


全体を見通す目はなくてもよい


化学工場の一工程を果たす触媒のように
何を何に変えるのか?


その小さな世界で意味や目的を見いだせれば
それはそれでよいのであろう


工場全体の調和の中で
意味があると信じることができれば
全体は知らずとも
予定調和の中で
調和の意味や目的にかなうのだろう

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