ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

道程の設え:言葉たちの恵


スーパーの食品売り場には
大自然からの恵が
所狭しと陳列されている


農場で栽培された野菜や
まき場で飼育された家畜は
人工的な環境で育てられているので
大自然からの恵ではない、、、のかもしれない


だからなのか
神様からの恵というと
違和感がなくなる


狭義の大自然からの恵は
山菜や野生動物であって
栽培野菜や家畜は
大自然からのものではないのかもしれない


いずれにしても
食料品を恵と表現することに
違和感はない


大自然からの搾取物や
神様からの戦利品と表現するより
恵であると
心に優しい


恵という言葉のどこかに
人間が食べることを許されているというニュアンスが
入り込んでいるらしい


大自然が人間を食べることを許容している
神様が人間が食べるために創造してくれた
そんな食材への贖罪的感覚が恵には備わっている


恵んでもらったから食べているのであり
食べるために殺めたのではない
そんな感覚を助長してくれる


しかし
野菜や家畜など
食べられる側からすれば
自分がいつの間にか恵にされるのだから
たまったものではない


突然白羽の矢が当たり
生贄にされるような被害者意識が
恵にされる側にはあるのではなかろうか


触媒にされた側の悲しみに思いをはせながら
食事をするのはどうかとも思うが
感謝はしなければならないだろう


まあ
感謝されても
食されてしまえば浮かばれないのだが
霞を食べて生きてゆけぬのだから
何かを搾取してゆかなければ
生きてゆけないのだから仕方がない


天からの恵を受け取り生きているのだ


天からの恵を否応なく奪い取り生きているのではあるが
そうではなく
天からの恵を受け取り生きているらしい


天からの恵を奪い取る工夫を重ね
天からの禍を避ける工夫を重ねながら
人間は文化を育んできた


言葉もそんな文化の中から生まれてきた


人間の行いを正当化する言葉が
人間の行いを守り続けてくれるのだろう


言葉の使い方ひとつで
ひどいことも
それほどひどくないことに昇華してくれるのだ


そんな言葉が創る雰囲気の中で
ひどいことが行われるよう誘導され
そこに道程ができている


悲しいかな
戦争もまた
きっと
そんな言葉たちに励まされ
続けられてゆくのだろう

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