ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

思考と実体:純粋体験と純粋思考に還元する意義について


何も考えず
ただ現状を見聞きしている状態を
純粋体験というらしい


なぜこうなったとか
これからどうなるとか
なにをしてその後どうするか
なんてことを一切考えず
ただ感覚器から周囲を体験する


このような純粋体験から切り離された思考を
純粋思考と呼べるだろう


普段は
体験と思考が交錯しながら
意識が活発に動いているところを
どちらかに集中していると
純粋体験や
純粋思考に近づいてゆくことになろう


このような努力は
現象学的還元の一つだろう


こうした還元努力により近接する
純粋体験や
純粋思考は
どちらも互いを求めあっているようで
なかなか純粋になりはしない


どちらかでは片手落ちなのである


純粋体験では私が不在になってゆき
純粋思考では私以外の思考対象が不在となるのである


片方だけでは
通じあう話相手のいない言葉の様に
存在価値がなくなってゆくようである


純粋体験と
純粋思考は
阿吽の呼吸のような間柄にあって
はじめて機能しているのである


反応しない
反応されないという間柄において
純粋体験や
純粋思考に近接しようと試みても
どうしても阿吽の呼吸で反応してしまうのが正常である


だからこそ
純粋体験や
純粋思考を求めて
そこに至ろうと努力する意義もあるのかもしれない


健康をなくしその意味を知る様に
会話の相手を失いその意義を知る様に
純粋体験により純粋思考の意義を知り
純粋思考により純粋体験の意義を知るのである

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