ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

感情と思考:決定論の中を生きる


「その鰹節は人間のものである」
という決定論を受け入れる能力のない猫も
「吾輩は猫である」
という決定論を受け入れているらしく
猫として生きている


私も
「吾輩は人間である」
という決定論を受け入れて生きている


その上で
「これは私のものである」
あるいは
「それはあなたのものである」という
過去に決された事象について
決定論として受け入れながら
生きている


過去において決定された事象は
今においても
原則、変わらない
そんな思考の中で生きている


過去において
様々な事象が決定されていると
現在は
どんどんと過去の決定により制御され
自由を失い
秩序性が向上してい行く


それに伴い
決定事象として記憶しなければならないことも
増えてゆく


覚えていないと
間違える
ということになる


覚えきれず
間違えることが多くなるに従い
どんどん自由が欲しくなる


この辺りが
猫の自由さにみせられる理由があるのだろう


「今日は何月何日である」から
「何をすべし」と予定表が訴えている


今日の天気や気分はお構いなしに
「何をすべし」と過去から引き継がれた予定表が訴える


その過去の決定に従い行動する能力において
私は生きているということなのだろう


それが
「吾輩は人間である」ということの
目的を実践することになるのだろう

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