ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

コダマする生き甲斐


損をすることは嫌なことだけれど
損をしてでもやりたいことがあると
それは生き甲斐だ


何のために生まれてきたのか?


戦争中には
「お国のために生まれてきた」
こういった明確な答えがあったのかもしれないが
明確な答えがない方が
この質問の良いところであり
煮え切らないところである


誰かが決めてくれ
考えもせずそれに従えば
それはそれでいいかもしれない
けれど
「自分で決めたい」
そう思ってしまえば
自分自身で考えなければいけない


一生懸命考えれば考えるほど
色々なことのために生まれてきたと思えてしまい
「これだ」というものを特定できない
あれもこれも
色々な事すべてを自分のためにしている気になってくる


ともすれば
「何の目的もない」という事にもなりかねない


なんだかんだいいながら
自分のために自分が生まれてきたことになる


そう
自作自演の物語


この答、
具体的ではなくて
結局
煮え切らないままだから進歩がない


やはりほかの誰かが必要なのだろう


たとえば
誰かと一緒に楽しめることが
夢中になりやすいのかもしれない


自分が損してでもやりたいことにも
人様の関与が必要な気がしてくる


私という自作自演の独立王国に
他の誰かが登場しないと
物語が進まないのだ


やりがいを見つける作業の中で
自作自演の自分ばかりは
自然と
いつの間にやら
崩れ去ってゆくものなのだろう


ーーーー
メモ


趣味にかける
時間と労力とお金は
はたから見ると
異常だ


家計を共にする者の趣味は
時に罪悪だ


このような罪悪の目を乗り越えてでも
突き進む趣味への情熱は
生き甲斐としか言いようがない


それでも
趣味への情熱が
趣味以外のことにも波及してゆくから
趣味は大切だ


趣味があるから
一生懸命働いたりするのだ


そこのところで
周囲の者からの理解も得られたりする


動機は何であり
覇気があるということは
善かれ悪しかれ
周辺を巻き込み
共に生きてゆく力となる


そんな力の中で
「何のために生きているか?」の答えが
なんとなくコダマしあっているのだろう


さまざまな覇気があり
様々な生き甲斐がコダマする


広がりのある社会で
自由にそれぞれの「ヤッホー」と叫びあう
そんなコダマが有難い

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