ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

局在と遷移:自足性欠如を埋める競争と遷移


水のないところでは
植物が少ない


日の当たらない場所も
同じだ


植物が反応を循環させるためには
水や光の他
二酸化炭素や
窒素化合物やミネラルも必要になる


反応の循環は
反応の主体だけで維持できるものではない


こうした主体以外への依存しながら
主体は反応を維持し
循環させている


このような自足性の不足ゆえに
植物間で競争が起こる


奪い合いだ


20億年前の太古の地球では
まだぎこちない生命は
競争よりも
自らの反応の循環に右往左往していたかもしれない


自らの反応の循環の定式化が安定し
高性能になるに従い
その自足性の不足が深刻になり
競争が激しくなり
5億年前のカンブリア紀になる頃までには
食う側と食われる側の競争が激化した


主体が主催する反応に要するものを
より多く集めなければ
反応の循環を維持できないほどに
反応が盛んに連鎖するようになってきたということだ


ぎこちないままではいられないらしい


のんびりとしてはいられないらしい


土地所有という縄張りが
密林を開墾し
野生生物の生息域を破壊し続けている


化学反応の循環を維持するために
化石燃料が大量消費されている


反応を維持できるものが強者であり
維持し難い境遇にあるものが弱者なのだろう


強者が強者になるまでに
ゆっくりと時間をかけて来た


強者が再び弱者となるまでには
また
ゆっくりと時間が過ぎてゆくのだろうが
強者の反応が激しければ激しいほどに
時間も激しく過ぎてゆくのだろう

局在と遷移:反応たちの予定調和とその命運


循環する反応は
定式性が高いほど
予定の持続性が長いほど
他の反応との協調性が高いほど
その循環が持続されやすい


こうした
定式性 持続性 協調性が備わり
反応に予定調和が成立している


このような反応の予定調和が
反応が実践され前から予定され
その命運が決まっているのだが
そこに
自足性が絡んでくる


循環する反応が
全て自足していれば
その命運は
その反応主体のできいかんで決まるのだが
他の反応主体次第でその命運が変わることがあるから
自足性が低いと
いくら予定調和が成立していても
その反応は循環せずに消え去ることもある


タンポポはたくさんの種を風に乗せるのだが
その行き着く先は運次第で
海に落ち発芽できない種もたくさんあろう


運よく地上に着地しても
水分が足りなかったり
太陽の光が足りなかったり
土の養分が不適切で
発芽できないこともあろう


人類は自足率を上げようと
社会を発展させてきた


自足率を上げるために
次々と
主体を個人から社会へと移動させてきた


そのかいあって
個人ではなし得ない自足性を
社会として維持できるようになってきた


このような社会による自足性向上の競争により
どの様な社会に生まれるかで
個人の運命が大きく変わる様になってきた


子供の頃
「もっとお金持ちの家に生まれれば楽が出来たのに、、、」
と妄想したことがあった


個人の力では何ともならない自足性の格差が
社会の格差として存在している


世界のニュースを見ながら
日本に生まれてよかったと思うこともあれば
あの国に生まれたかったと思うこともある


自足性の低い部分で
主体が予定している反応の循環が
途切れてしまう可能性があるのだから
局在の持続性にとって自足性は大問題になる


この重大なる自足性にたなびき
個人としての主体は
社会としての主体にひざまずくより仕方がないのだろうか


自足性を高めるために
AIが活躍し始めた


社会の自足性が高まり
定式性が高まると
ワンマン会社や独裁社会のように
自由が減退し多様性が失われる


守られることで失うものがある


わかっていても
守られるために何かを捨てるのが
社会性動物の宿命なのだろうか


ネアンデルタール人は
現代人より自足性の低い社会で
自由に暮らしていたのかもしれません

局在と遷移:反応の連鎖による留め置く力


反応には
主体と客体がある


反応の主体もまた
何かの主体の客体となるから
反応が連鎖する世界に巻き込まれ
独立独歩というわけにはいかなくなる


そんな連鎖世界の中でも
唯我独尊とばかりに
局在が
他の局在から独立を保つかのように
自他を区別しながら
その局在の中で
定式的に反応を激しく連鎖させているのが
生命体だ


他の生命を食らい
その栄養を自らの体内に宿しながらも
独立した存在であるかのように
唯我独尊を標榜する


人間も
いずれは何かに食らわれる


屍となり
獣に食らわれたり
鳥につつかれ
ウジや細菌に食いつくされることもあるのであろうが
燃やされ
二酸化炭素として植物に食われることもあるだろう


人間となった物質は
人間により守られるが
その守りがなくなれば
様々な主体の客体として
食い漁られる


物質が
局在間を行き来する


光が
物質間を行き来するように
物質が
局在間を行き来しながら
その局在にある間は
その局在の定式化された反応に従い
循環を繰り返す


電子に
光をとどまらせる力がある様に
生命には
物質をとどまらせる力があるのだ


同様に
社会には人をとどまらせる力がある


反応が盛んなほどに
このとどまらせる力が強いのだろう


そして
くわえ込む力も強いのだろう


どうでなければ
局在を維持できないのだから仕方がない


動物の集団が
食い尽くせるだけ食い尽くす


そしてそれをわが物のように
反応の渦の中に投げ込み留め置く


こうして
留め置かれたものは
主体内で
主体となり客体となり
反応を定式的に営む


留め置かれた光が
自由に電子から飛び出せないように
局在の中で
定式的な反応を繰り返す


主体が反応を主宰する


このことにおいて
唯我独尊がその主体において奨励される