ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

自然との対話


ゴルフボールから
目を離さないように
必死に目を凝らし
スウィングをする


うまくいけば
ご満悦
失敗すれば
「目が離れた」と言い訳をする


しかし
どうして
動かないボールを
こんなにも一生懸命に
見つめ続けなければならないのだろう


野球のボールは
動いているのだから
それを一生懸命見る必要がある
ところが
ゴルフボールは
動かない


動かないものをじっと見ることに
どれほどの意味があるだろう


そんなことに神経を消耗させるよりも
もっと大切なことは山とある


ヘッドの軌跡やその角度の方が
ボールより動きに満ちている


その動きに神経を集中させた方が
よっぽど道理にかなっている


ボールは眺める程度でいい


あえて
「ボールは見ない」と自分に言い聞かせる


それでも
わたしは
ボールを見つめる


打ったボールの行方を追う


私の中の自然が
ボールを追う
そして私にホールを見るよう命令する


会えた私が
「ボールを見ろ」という必要は
どこにもない


それなのに
「ボールを見ろ」
「もっとよく見ろ」と
私は私に命令し続けてきた


自然にしてしまうことは
私の中の自然に任せておけばいい


ネコをじゃらす時
自分の手を見ている暇はない
猫の反応を見つめながら
自然に手を動かす
私の身体で起こることは見つめる必要がないからだ


むしろ
自分の身体以外のことに目を見開かなければならない
それが自然だ


この自然は
ゴルフにおいては邪魔のようだ


ボールは動いていないのだ


むしろ
自分が動いている


だから
あえて
ボールを見ずに
私を見つめる


そう
「ボールを見ない」


ボールを見ようとする自分と対峙して
もっと違うことに集中するのだ


「ボールを見ない」
あえて
「ボールを見ない」とつぶやきながら
ボールを眺めて
ボールを打つ


そうすれば
ボールの行方が気になって
ボールから目を離してしまうことも
少なくなるだろう


こう考えながら
ボールを打っても
ボールを打つ前に
ボールの行方を見てしまうのだから
自然に対抗するのは容易でない


「もっと理性を!」
そう叫びたくなる


「もっとボールを見ない!」
次は
こう反芻してみよう

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