ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉がもたらす分業と連帯


人間には
言葉という刺激がある


言葉は
お米や小麦
お肉やおさかなのように
味覚を刺激してくれないし
腹も膨れない


そんな
内臓が見向きもしない言葉を
目や耳が欲している


目や耳は
遠位感覚器だ


遠くにある餌の在り処や
遠くにある危険な存在を感知するために
進化してきた感覚器だ


言葉により
行ったこともない国の
おいしい食べ物のことや
危険な生き物のことを知ることができる


過去や未来の
素敵な夢物語や
危険な災害の話を聞くこともできる


言葉が
知識の時空を拡げてくれている
だから
人間は言葉を欲してそれを得て
知識の時空を拡げてゆく


このような機能だけでなく
言葉には
現実的な機能が沢山ある


単純なところでは
目で何から危険を察知すると
足が動いて走り出して逃げるように
人間は
言葉で危険を知らせ合い
その場から逃げることができる


複雑なところでは
分業ということで
目の役割を演じる人間や
足の役割を演じる人間や
生産を担う人間や
戦闘を担う人間が
それぞれ特殊能力を磨き
言葉を通じて
連帯した動きを奏でることもできる


このような分業と連帯の関係を
言葉はより複雑で機能的なものにしてきた


副反応ももちろんある
たとえば
嘘や幻でも人間の連帯行動が現れてしまう


だから
イソップのオオカミ少年や
アンデルセンのはだかの王様のような逸話により
言葉を精査するようにも注意喚起もされている


それでも
人間は
猫が毛糸の玉にじゃれるように
嘘も真もごちゃ混ぜになった言葉とじゃれながら
生きる術を探している


言葉とじゃれるのが
理屈抜きに愉しくなるように
人間は設計されているらしい


このじゃれ合いの中で
嘘や真を探し合う術を磨くのだろう


言葉は
聞かなければ無であり空であるが
同時に
発せられていない言葉も
耳をすませば
神の言葉にもなるのだろう


言葉がなければ
人生は単純なものになるのだろう


言葉が
人生を複雑でわかりにくいものにしてくれている


謎を解くには
言葉が覆い隠した人生のベールを
まずは剥がさなければならぬのだろう

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