ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

恒常的状態:動物の本懐


動物の本懐は内臓にある


骨も筋肉も神経も
内臓のために働いている


昆虫でも
人間でも
内臓が体の中心に陣取り
総指揮をしている


昆虫では外骨格
哺乳類は内骨格
というように
動物にとって
骨格は外にあっても中にあっても良い
尾ひれのような存在だ


血管系も
哺乳類は管で閉じ込められた閉鎖血管系であるのに対し
昆虫では解放血管系で
昆虫の血液は人間のリンパ液のように流れている


酸素の取り込み方も
人間と昆虫では大きく違っていて
人間では
肺に空気を取り込み
肺に入れ組んだ血管を通じて全身に酸素が供給されるが
昆虫では
身体の横にいくつもの気門が外界に通じており
それぞれの気門の内側には
人間の血管のような気管が体中に枝分かれをしながら伸び
それぞれの気門の近くの細胞に酸素を供給している


このように
骨格や血管や気管
それに筋肉や神経の在り様は
動物種により様々で個性的だ
これに対して
内臓は似たかよったかだ


無論
例外もあり
全く同じではないけれど
口から肛門に通じている管になっている


動物の進化は
いかに内臓のために働くかを工夫してきた過程であり
内臓さえうまく働けば
手や足や尾やひれの形態は
状況に合わせていくら変化してもよいので
骨も血管も気管も可変的な器官だ


このようにして大事にされ機能している
本懐たる内臓とても
「こうでなければならない」というような
永遠不滅の形態はない


形態ばかりではない
行動も
絶対的に守らなければならない行動などはなく
結果として
内臓が満足できればなんでも良い


内臓を養いうために
動物は行動を進化させ
日夜努力を惜しまず働いている


だから
内臓が幸せだと
私も幸せで
内臓が不幸だと
私も不幸を感じるようにできているのだろう


幸せの青い鳥は
身近なところに住んでいるという


きっと
内臓のどこかに巣をつくり住んでいるのだろう
そして
時たまそこから飛び立ち
私の意識にも飛来してくれているのだろう


だから
幸せになるためには
内臓を大事にしなければならない


身を粉にしても尽くすべきは
神仏ではなく内臓だ


そのために理性があり
神仏が存在するのかと、ふと夢を見た


人間は考える内臓なのだろう

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