ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

脱中心化:懐疑という解脱


人間に
信じる力がないと
言語は消失せざるをえない


言葉そのものには
文字とその意味をつなぎとめる力はなく
この連なりは
人間が文字とその意味の関係が存在していることを
信じることにより維持されているからだ


同様に
倫理も
道徳も
懐疑主義の藻屑となり消え失せる


信じる力のない人間は
DNAを信頼せずに
DNAの情報を翻訳しない細胞のようなものだ


情報に信頼を寄せることにより維持されている秩序は
この新人の消失により崩壊してしまうのだ


秩序の維持に不可欠な情報への信頼は
実績による


今までそうしてきた
それによりうまくやってきた


目的を達成する道程は沢山あれども
確かな実績として信頼される道程は限られている


経験を積み
その道程に適応すればするほど
この信頼は高まり
その道程を離れがたくなる


この離れがたさが
DNAへの信頼を築き上げてきた


信じる対象への信頼は
このようにして築きあげて来た実績の系譜の賜物だ


別の道程に乗り換えれば乗り換えたで
目的を達することも可能であろうが
築き上げてきた工夫の数々を
一度捨て去り
新たな道程に適した形式の下で
再び実績を組み上げてゆく覚悟が必要だ


以上のように
信じることがいかなるものかを突き詰めると
信じるに値しない事態も現れ
懐疑を突き詰めれば
信じることの意義も現れる


このような混在の中で
信じることと疑うことの円環的関係が
事態を動かし
様々な潤いや恩恵を与えてくれている

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