ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

同調圧力:ゾーニングの需要


なぜ
トイレで用をたさないといけないのだろう?


糞尿といった排泄物は
トイレに排泄せず
野原に排泄しても
いずれ分解され
きれいな水や
澄んだ空気として
自然の循環の中に戻ってゆく


ただ戻る間に
異臭を放ったり
病原菌を繁殖させたりするから
好ましい存在ではない


糞尿の量が少なく
自然の包容力が相対的に十分大きければ
無害ではないにしても
糞尿もそれほど害悪ではないのかもしれない


多くの動物は
自然の中に放置しているし
登山好きの友人が
川の上流で糞尿を排泄して下山してきたら
川辺で
その水を使って料理をしている人たちがいたと話すように
人間も自然の中に糞尿を放置することもある


けれど
基本的には
人間は
区域をきちんと分別して
糞尿を処理する区域と
糞尿がまみれていない区域を設けている


そして
糞尿を処理する区域は汚いところとして
忌避の対象にしている


快適に生きてゆく知恵だ


このように
棲み易い場所と
棲み難い場所をゾーニングしながら
地域が形成されきたし
これからもそうして社会が維持されてゆくのだろう


ゾーニングが始まると
棲み易い場所をより快適にするために
棲み難い場所はより棲み難くなる


これも生きてゆく知恵なのだろう


裏を返せば
地域がみな平等で同じならば
快適さは増進しないということなのだろう


小さなトイレが沢山あるように
大きな迷惑施設ではなくて
小さな迷惑施設が沢山あれば
地域間格差は縮小するのだろうが
集約することで機能することが沢山あるから
地域の格差は必要悪として残ってしまうのだろう


忌避することは
ゾーニングの基本であり
社会基盤整備の推進力でもあるけれど
格差のはじまりであり
差別のはじまりだ


コロナでもそうであるように
忌避を推奨しなければならないし
忌避を抑止しなければならないから
同じ意味を持つニュアンスの違うきめ細かな言葉の束が
人類には必要になったのだろう


自分の好きなもので自分を囲み
自分の嫌いなものを他人に押し付ける
それを正当化する理由を
言葉が演じてくれている


トイレの中に隠れて用をたすように
都合の良い言葉の中で
私は放蕩の私を隠しながら
私を維持しながら生きてゆく

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