ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

多元論:現実的存在の増産


車の安全運転を確保するために
様々な装置が装着されるようになった


そんな装置の一つに
バックで駐車する時に便利な
バックモニターがある


はじめてこの装置を使ったとき
その画面に映る車の後ろの様子が
本物なのか
見落としが無いのか
とても気になった


でも
考えてみれば
自分の目で見ている世界も
バックモニターに映った現実と
「写し撮ったもの」という意味で同じだ


自分の目で見ている現実は
慣れ親しんでいるから
現実そのものと直感できるようになっているだけで
バックモニターと同様な画像に過ぎない


つまり
自分の目で見た映像も
デカルトのように疑いながら接すべき画像ということだ


同じであるはずの現実が
バックモニターにも
自分の目で見た映像にも
存在することになる


信じればそれは現実だ


そうして
ひとつの現実が
複数の画像として複製されてゆく


信じることで
存在は無限に増産されているということだ


存在が大量生産されると
同じ現実から複製された存在の間でも
齟齬が生じてしまうことにもなる


この齟齬の原因は
存在の生産過程の
複製能力の不完全性によるものもあれば
バイアスによるものもあろう


このような齟齬を排して
存在が同じように生産されるようになると
存在が統一化される


純然たる唯物論として考えると
現実と
バックモニターに映った現実と
自分の目で見た現実は
それぞれ異なる存在で有り
同じ現実ではない


しかし
統一的な手段で複製し生産された存在は
観念的に
同一なものとして扱われることになる


この同一性の確保により
現実に対応して
安全運転をすることが可能になる


言葉の意味も統一的に生産することにより
現実に対応できる


だから
人間の言葉を理解せず交通ルールを守らない動物は
人間が創造した秩序に対応できず
交通事故にあい
命を落としてしまうことがある


存在の生産方法の違いが
対応力の違いを生む


この対応力において
存在の生産方法の良否が
自然選択されてゆくことになる

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