ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

多元論:幻想と実践の二元論


成功は
局在化した能力が
局所において目標を達成することだ


ここでいう
目標と能力は
異なる次元に存在する


目標は幻想の中で
幻想の主体全体をよりよくするために設定され
能力は
主体内部の局所で働く実践だ


目標と能力
夢と現実
幻想と実践


言語は
2項対立を描くばかりではなく
幻想の次元を区切る役割を演じてくれている


ひとつの現実を
複数の次元に区分された幻影として整理してくれている


たとえば
動きのない不変の物質と
その物質の動態が
区別され語られる


時空の中で
原子の周りを原子が廻り続けているにもかかわらず
物質は動いていない存在として語られる


動いていたままでは
物質として言葉にはならない
言葉として動かないようにしてから
記憶する


殺されてからはく製にされる動物のように
物質は元素は記号にされ
記憶されるということだ


この動かない記憶に
動きという属性を付与して
内部での素粒子の動き
外部との多元素との相互作用などについて
個別に語られる


それぞれの動きにも
それぞれの言葉があてがわれ
いつも一定の個性のない動きとして他の動きから切り離される


このように
言語が多元的に現実を分断するので
食料品と素粒子は異なる存在のように記憶されてしまう


「毎日素粒子を食べています」
この言葉は
食べ物が素粒子からできているのだから
現実を正しく表現しているのだけれど
現実的な会話としては違和感が生まれてしまうのは
言葉が現実を切り刻み
多次元の幻想を構築しているからだ


「全ての素粒子は食べられます」
この言葉は
石も素粒子でできているので間違いということになる


「すべての食べ物となっている素粒子は食べられる」
この言葉は
「食べ物は食べられる」に素粒子の次元を飾り付けた言葉である


幻想は
言葉で切り刻まれた部分を張り合わせ構成された全体の中で
目標を造り出す


その目標を達成するための能力の実践は
言葉による分断されていない生の現実の中で行われる


だから
実践は
言葉通りにいかないことがある


そのために
「食べ物」を「食べ物になっている素粒子」と表現するような
様々に分断した言葉を再び様々な組み合わせで張り合わせ
幻想している目標通りに実践が進むようにと
工夫を繰り返している


奇妙な言葉の組み合わせを楽しもう


幻想が
何か新しいものを生むかもしれません

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