ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命力:適応という従属


「環境に適応する」
という文脈の中に
適応する主体が想定されている


この主体を中心に考え
主体の内部と外部に分けた時の外部が環境だ


外部に応じて
内部を改変することが
適応ということになる


主体性が
「外部に従い変わる」という
従属性に侵されるという現実が
適応というわけだ


むろん主たる主体性は
主体の側にあり
主体性の一部の主導を外部に明け渡すだけではある


それでも
主体は
適応という名のもとに
全ての主体性を自身に確保せず
外部に主導権を一部譲り渡しているのである


不本意であろうがなかろうが
外部に同調することが
適応ということになる


国家の主権も
主体性ばかり発揮するのではなく
適応的に外部に従属する


私も
私の意にそぐわないままに
外部の意見に流される


主体性と従属性のバランスをとる能力が
自然淘汰の中で洗練されて来たのだろう


そのバランスの中で
生命力は
その主体性と従属性を
ともに高めてきたともいえるのだろう


進化は
生きるために
葛藤の源をより深く探り
より高いバランスを求め続けているようだ

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