触媒と必然:時の中で恒常を歩む
親ガエルはカエルであり
親ガエルが産む卵も
その卵から孵る
オタマジャクシもカエルである
しかし
卵はオタマジャクシではなく
親ガエルはオタマジャクシではない
これを記号で描くと
AはBであり
CもBであり
DもBである
しかし
AはCでなく
CもDではない
このように
演繹が成立しないのは
ACDがBの要素であるからということもできようが
時間との関係に注目してみたい
春は季節であり
夏も季節であり
秋も季節だ
しかし
春は夏ではなく
夏は秋でもない
循環する位相はそれぞれ違う存在であっても
位相全体に属していることには違いない
各位相は
次の位相に向かい進行することになっている
それは
グルコースが
酵素により分解されるように
規則正しく進行してゆく
グルコースは
水や二酸化炭素ではないけれど
水や二酸化炭素に分解されるのだ
規則正しい位相が組み合わさると
循環が成立しうる
循環する位相の組み合わせの中で
その循環から逸脱する位相があると
その循環は崩壊する
地球に惑星が衝突して
位相に乱れが生じると
地球は今の軌道を失い
太陽に落下するかもしれない
このような位相と循環の関係から
循環することを前提として
位相に善悪を評価することができる
卵がオタマジャクシになり
オタマジャクシが親ガエルになり
親ガエルが卵を産む
この循環の中で
オタマジャクシが魚に食われることは
地球に惑星が衝突するような
循環を乱す悪である
逆に
オタマジャクシの餌である藻が繁茂することは
循環を促す善である
循環すべく
次の位相に移行する能力が
良い触媒能力だ
良い触媒能力により位相が組み合わさり
循環が恒常的に成立すると
それ偶然ではなく必然と呼ばれるようになる
地球が太陽の周りを公転することは
はたして必然であるのかはさておき
当然のことのように
四季は移ろうのだ
私の身体も
私の思考も
位相を動かす触媒だ
時の中で恒常を歩む触媒だ
迷いながらも軌道修正しながら
循環を維持しようと努力する触媒だ
この触媒としての努力の中で
明日生きていることを
当然のことであるように感じる
必然の循環の中に存在していられているのが
ありがたい