ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

触媒と必然:同質と異質の分水嶺


枯れ葉が
木漏れ日の中で揺れている


その揺れ動く姿を
私は直接触れることなく
視覚を通じて触れている


視覚も
枯れ葉に直接触れてはいない
枯れ葉が触れた光に触れている


緑であった葉が
茶色に見えるのは
葉と光の接触した時に
反射する光の波長に違いがあるかららしい


葉が
光を触媒している


その触媒の性質の違いで
私はその葉の色を認識できているようだ


私は
様々な物質の触媒が絡み合う世界の中で
その世界から届く物性の違いを認識している


軽水素と重水素は
厳密には違うものであっても
同じ水素でもある


電子軌道が違えば
同じ軽水素でも
違う水素としての物性がある


しかし
同じ水素として扱うことが大半だ


一つの元素でも
様々な存在状態があるのだから
元素が結合した分子はもっと多様だ


その分子が集まってできている細胞は
とんでもなく多様ということになる


単純な細菌でも
様々な存在状態にある
何万という水素原子の電子軌道を加味すれば
天文学的数字の多様性があることになる


多細胞生物となれば
そんな細胞がとてつもなく集まっているのだから
厳密に言えば
同じ状態などありえない


しかし一つの命と認識され
場合によっては
別々の個体も同じ生き物にしてしまうのが習わしだ


枯れ葉がカサコソと揺れる


その瞬間瞬間に
枯れ葉変貌を遂げている


少なくとも
その占める空間を変えている
時間も変えている


私は
枯れ葉が同じ状態がない中で
共通点を見つけ
同じ枯れ葉を認識しているようだ


同じを創るのだ


同じを創る能力が
私に備わっているのだろう


違いが判るのも能力ならば
同じを創るのも能力だ


あの時見たのと同じい景色が見えたり
あの時嗅いだ臭いを感じて
昔を思い出す


二度と返ることのない昔と同じことを
今に見る


この能力を研ぎ澄ます中で
違いが判るのではなかろうか


元から違うのが当然であり
同じであることが不自然なことだ


その昔
この同じを見出す能力に
言葉が乗ったのだろう


そして
その完成を研ぎ澄ます中で
同質の中に違いを見出し
言葉を分化させてきた


今では
言葉は同じを見出す触媒として
立派に進化を遂げた


言葉では先鋭化した違いを表現するために
数字も現れた


そして今も
同質と異質の分水嶺を
言葉や数字が揺れ動く

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