ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

局在と遷移:復興をもたらす力たち


土手草を燃やしてから数日もたつと
土手草がみずみずしい若葉を伸ばし始める


そんな様子を見ていると
土手草にとって
燃やされるということは
命を若返らせる儀式の様でもある


古い命を燃やし尽くし
新しい命が燃えカスの間から再び芽を伸ばす


命は
やり直す力からできている


空襲で焼け野原となった台地に
新しい営みが戻り
活気あふれる街並みが復興する


これと同じような努力が
焼き払われた土手でも繰り広げられているのだろう


全くもって
元の通りにはならないが
元の通りに復元しようとする努力が
元と似たような風景を再現する


命は失われることを前提としながら
命を再現することで維持されている


復興するならば
失われても構わない


そんな冷たさが許容され
それを乗り越えながら
命は承継されて来た


土手草たちは
焼かれる前に
焼かれない何かを残し
再び再生してきた


そうした「焼かれない何か」への注力を
土手草は怠ることなく実践しているのだろう


私にとって
この「焼かれないな何か」は何だろう?


即座に
はっきりとした答えを見つけられないもどかしさがあるけれど
土手草たちも
それを確信しながら生きておらずとも
「焼かれない何か」を残し続けているのだから
核心などせずぼんやりと生きていれば
それはそれでよいのだろう


壊されても
壊されても
壊されずに残る何かが
様々な局維持しているいる


ウクライナでも紛争が勃発している


壊されてもよいということではない


しかし
壊されても壊されても
何かが
再興してくるのだろう


再興するものは
幸せの種であり
また
争いの種である


共存は
平和であればよいのだが
平和は遠い


共存は
やわらかく争うことなのだろう


良く言われるように
やはり
適度な距離感が大切だ


土手草とも
うまい距離感で付き合いたい

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