ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

 動的秩序は規則的反応の調和的集合体。ルアーは反応をもたらす物質の最適化の象徴。情報の流れの中で規則と調和が繰り返えされる。

視座の変換による帰納法の転回


災害は忘れたころにやってくる


この警句の基礎には
人間の帰納法的思考が寄与している


200年前に災害があった
100年前にも災害があった
そろそろ災害があるだろう
これは
長期的視野に立った帰納法だ


おととい災害はなかった
きのう災害はなかった
きょうも災害はないだろう
こちらは
短期的視野に立った帰納法だ


災害があることと
災害がないことが
200年前の事実
100年前の事実
おとといの事実
きのうの事実
から
推測できる


事象が起こる頻度の問題は
表面的な帰納法では扱えない
ましてや
その起こる時期の予想とくれば
なおさらだ


そこで災害が起こるメカニズムが探求され
このメカニズムにかかわる事象の起因頻度と
災害の起因との関係等を調べてゆき
より確度の高い予想ができるように研究がなされる


メカニズムにかかわる事象が
多ければ多いほど
予想は裏切られる頻度が増加することは容易に予想ができる
心の動きが
予想可能のようで予想不可能であるのと同じだからだ


きのうもおとといも
こうしたらああなった
だからきょうもこうしてみよう


心は
必ずしも
思うように動いてくれない


「たまにうまくいく」
その奇跡を信じながら
試行錯誤を繰り返す
もしかした
「これはなかなかうまくいく」
そう思えるような何かをつかめるかもしれない


そうなってくれば
思考や智慧は喜ぶだろう


ーーーーーー
メモ


哀しいことではあるけれど

不完全である生き物が

生き延びてゆくためには
生き長らえる頻度に応じて
生き物をたくさん用意しなければならない


生き延びる確率が1/10000ならば
20000の生き物を用意できれば
2の生き物が生き延びる計算になる


進化の神様には
死んでも生きる個体がいればそれでよい
という
冷たさがある


巨視的になるということは
そういうことなのだろう


人類という大義の前に
個人の生存は
海原に漂うごみのようなものなのかもしれない


しかし
そのごみが
おとといこうして生きてきた
昨日もこうして生きてきた
だから・・・・・
さまざまに
短期的な帰納法や
狭視的な戦略を働かせ
懸命に生きている


その努力なくして
人類の大義もかなわぬだろうし
その努力が困難になれば
何のための大義なのか
攻撃の的になる


いずれにしても
「不備はどこにでもある
 それをどうかいくぐるか?」


このことは
巨視的にも
狭視的にも
大事なことであるには違いない


ありがとうございます


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