固定化した因果律との距離感(=と≒)
周りと調和していると生き易く
周りと調和していないと生きにくい
AはCでなくBである
これを
周りも自分も是としている
あるいは否としている場合は
調和がとれている
しかし
周りは是であるが
自分は否であると不調和となる
ごまかして
なんとなく
うやもやにできる不調和もあれば
不調和が更なる不調和を産むこともある
後者が差別の始まりだろう
紛争の始まりでもある
だからだろう
AはCでなくBである
などと
画一的な教育がなされていると
安心できる
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メモ
生命反応は
本来無関係なAとBを
エネルギーを消費しながら関連付け
成立させながら
AがCは無関係であると
やはりエネルギーを消費しながら
維持している
社会も同じだ
生命の秩序も
社会の秩序も
AとBがうまく関連付けられていないと
反応が進まず滞り
秩序が崩壊の方向に向かってしまう
このような滞りにより生じる
デメリットが大きいと困るので
関連付けが完全ではなくても
なんとかかんとか
反応を次につなげてゆくことも必要だ
生命や社会のしなやかさだ
このしなやかさが欠けると
ちょっとしたことで
生命反応が途絶えてしまう
我慢の心を
人間に植え付けたのは
生命のしなやかさの求めからであろう
ただ
それにばかり甘えていては
進歩はない
アウフヘーベンが数々なされ
社会も生命も
反応が複雑化して
選択肢の広い
進歩した高等な秩序に進化してきた
すばらしい
ごまかしの体系化だ
しかし
それはやはり無理やり
AをBにしている反応が増えただけのことであり
それぞれの反応には
やはり柔軟性が欠かせない
柔軟性が失われると
どこかにしわよせが現れる
ピークを過ぎた社会では
反応の形式化による硬直した調和が蔓延し
しわが目立つようになってしまう
・・・歳を経て柔軟性を失った肌艶
人間の運命と同じなのだろう
ごまかしの厚塗りが
社会を彩るようになり
硬直な調和がより一層蔓延するようになる
A=Bも大事だが
A≒Bもとても大切だ
木の根っこ=ウサギが転ぶ
木の根っこ≒ウサギが転ぶ
待ちぼうけしてばかりいては
未来に笑われてしまうから
過去の栄光も忘れることも大切だ