ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

正義とそのゆるみ


警察官がいると
何か言われそうで
悪いことをしないようにと
身が引き締まる


逆に言えば
普段
少しくらい悪いことをしても良いと
気がゆるんでいるのだろう


警察官ばかりでなく
世の中には
悪い行いを指摘してくれる人は
沢山いる


厳しくして指摘してくれる人の前では
警察官がいるがごとく
気が引き締まる


クレイマーも
そんな人たちの範疇に入るのだろう


警官とクレイマーの違いを考えると
社会正義を実践しているという「信用」が大切だと
気づくことになる


自己都合の押し付けと
社会正義の押し付けの違いは
なんとなく感覚として身についている
でも
見分けがつかない時がある
騙されている時もある
そんな注意が必要だろう


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メモ


様々な正義があるから
自分に都合の良い正義もあれば
自分に都合の悪い正義もある


自分に都合の良い正義ばかり振りかざしていると
クレイマーなどと揶揄されてしまったりする
逆に
自分に都合の悪い正義を振りかざし
自らを律すると「正義の人」と信用がついたりする


だから
自分を犠牲にしてでも「正義」に奉じると
社会的信用が高まる
でも
正義の人ばかりやっていて
自分にとっては
都合わるくしか生きられなけれない
・・・なんだか辛い


ほどよく
自分に都合の良い正義と
自分に都合のよくない正義をミックスしながら
折り合いをつけてゆくことになってしまいがちだ


そんなこともあり
自然とゆるさが身につくのだろう
そして
警察官などの正義の人の前に出ると
どこか気を引き締めなければならなくなる


クレーマーの前でも
自分のゆるさを思いしらされる
この場合は自分の甘さであるかもしれない


いずれにしても
だれかれきっと
気のゆるみを許してほしい時がある
だから
警官やクレイマーが立ち去ると
安堵のため息を漏らしてみなくなる

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