ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:現実や心といった刺激について


反応は
刺激を予定している


酵素は基質を
ホルモン受容体はホルモンを
神経細胞は神経伝達物質を予定している


こうした
体内由来の物質を
刺激として予定している反応の仕掛けもあるが
目や耳のように
体外由来の物質を
刺激として酔うている反応の仕掛けもある


主として
体外由来の刺激に対する反応の仕掛けは
適応戦略に供されているもので
体内由来の刺激に対する反応の仕掛けは
生体維持に供されるものである


ともあれ
内部刺激は
もっぱら
同一システム内で受容される特殊な刺激であり
光や音のような
外部刺激は
システムを特定せずに存在する一般的な刺激ということが出来る


性ホルモンは
大気中を浮遊する化学物質ではあるが
もっぱら
同種の異性に対する刺激であるから
内部刺激ということになるだろう


言葉も
音であっても
意味に変換される反応は
同一システム内に限られる特殊な刺激であり
内部刺激と解される


内部刺激と内部反応の関係は
言語の恣意性が示すように
恣意的関係が恒常化した関係である


その目的性も
そのシステム内部に限定された特殊なものである


私の血液は
私の固有のものであり
他のシステムと交流することが原則ないように
言語は
他の言語と原則交じり合わない


しかし
言語システムが外部刺激にも反応することから
この外部刺激の共通性から
他の言語と翻訳関係を創ることが出来る


お金が形成する経済システムと
幸せや不幸を感じる感情のシステムにも
どこかに共通の外部刺激があるのだろう
お金がないと不幸を感じやすく
お金があると幸せを感じやすい気がする


まあ
お金がなくても幸せを感じられたり
お金があっても不幸であったりするのだから
それぞれのシステムの独自性もあるのだろうが
どこかに連なりはありどうだが
それぞれのシステムの部分的な出来事に違いない


私の精神システムでは
記憶した過去や
未来への希望が
私の内部刺激となり
私が今知覚する現実が
私への外部刺激となり
私の精神の中で
ぶつかったり
調和したりしている


現実は
誰にでも
どんな生命にも
岩肌や海といった物質にも刺激を与えうる
一般的なものである


そんな現実は
私には必ずしも優しくない


私のシステムの中で
私を応援する刺激が繰り返される


きっと
内部刺激は
私に優しくするよう淘汰選択が進み
進化しているのだろう


それに対して
外部刺激は
私へのやさしさに頓着してくれない


うまい関係を作るには
私が適応するしかないのだろう


人間が
身近なものを加工し
人間に優しいものに変えて来た


木を伐り
石をどかして道を創り
火の力を
蒸気機関や電気に利用するようになった


同じように
言葉で人間を加工するようになってきた


加工が進むに従い
人間は
言葉のシステムの中に
埋没するようになってきた


埋没すればするほどに
人間の精神に不調を来し
その言葉のシステムとの不協和がうまれ
言葉のシステムに対して
人民が抵抗運動を仕向けるようになる


ルネッサンスは
その象徴だろう


言葉が語る世界は重く貴重ではあるが
重すぎては
機能不全が生じてしまうということだ


正義も
鋭すぎては痛くてたまらない


SNSは
どの様に
この折り合いをつけてゆくのだろう


表情のない言葉だけの世界で
人間の関係が
心というよくわからないものから離れやすくなっている


笑顔の絵文字が
作り笑いのように見えてきた


作り笑いでできた世界と
ほんとの笑顔でできた社会の違いを
もっと意識しなければならない時代に
なってゆくのだろう

生命と反応:予定性 能動性 目的性


反応には
予定性
能動性
目的性が観察できる


予定性
性ホルモンをメスが出すことを予定しながら
オスはそれを受信するようにできている


能動性
性ホルモンを感知すると
その源流の方へと積極的に積極的に移動する


目的性
メスにオスが近づくことで
交尾が成立し世代が連なる


システムの内部では
予定性を互いに
提供し
享受し
反応が予定通りに連鎖してゆく


すなわち
仕掛けがあり
そこに予定した刺激が加わると
反応し
反応の結果が
次の仕掛けを刺激する


一度反応した仕掛けは
次の刺激が来るまでに
再び反応前に能動的に戻る様に仕掛けられている


性ホルモンを受信する触覚は
反応を媒体するこうした仕掛けの一端である


命は
その時を待ち構えてる


内側に塗り込められた予定を
今か今かと待ち構えている


私も
待ち構えている


さて
果たして何を?


胃は
食物が入り込むことを待っている


腎臓は
血液が流れ込むことを待ち続けている


目は
光の入り込みを
鼓膜は
空気の震えを待っている


手は
何かに触れることを
何かに触れられることを待ち望んでいるかのようだ


そして
それぞれに反応する


反応することで
何かの目的を果たすように
予定されているかのように
様々な仕掛けが動き出す

生命と反応:未来を待つ自己肯定感


自己肯定感は
未来肯定感により培われているところがある


「今が辛くても
 明るい未来がある」
というように
今の自分を肯定できなくても
自分を肯定することができる


まあ
自己肯定感があるから
未来の自分を信じられるともいえるだろう


いずれにせよ
自己肯定感にとって未来は大切だ


まだ見ぬ未来に
何が待っているのかを
誰もが
それぞれに
良くも悪くも想像できる


そして
良い未来になる様に
祈ったり
努力をしたりする


年をとり
衰えを感じる最中でも
未来に楽しみを見出す能力が
人間には備わっているらしい


若者のように
大志を抱く必要もなく
どうということのない日常の中に
明日はどうなってゆくのかがついつい気にかかり
それを観たくて明日を迎える


スポーツの試合は
どちらが勝つのかわからない状態であるから
目が離せない


それと同じように
興味を持ったものが
どうなるのか
その顛末が気にかかる


興味深い物事の顛末が
時間を重ねながら
未来へと続いている


明日は晴れるだろうか


今年の冬にはたくさんの雪が降るのだろうか?


なんということもないことが
どうでもよくないことのように
未来をつないでくれている


こんな風に
未来を待ち続けるように
私はできているらしい


こうした
未来を待つ気持ちが
自己肯定感の奥底に在るのだろう


私は
未来への顛末を見守るべき存在なのである