「肉体疲労」という言葉は 疲れているわけではなく 筋肉痛があるわけでもないので 疲れていなくても「肉体疲労」と発語できる しかし 本物の「肉体疲労」では 疲れた感覚や 筋肉苦痛を伴い ひどい場合には 「肉体疲労」などと発語する発語する余裕もなくなる それに 「肉体疲労」という言葉を知らない外国人と... 続きをみる
尊厳のブログ記事
尊厳(ムラゴンブログ全体)-
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欲望というものは 欲望に振り回されている身として よくわかっているつもりでいる 世間というものも 世間に振り回されている身として よくわかっているつもりである どちらも わかっているようでいて わかっていないから 振り回されているのだけれど それでも わかっているつもりでいる 私としての主体も 似... 続きをみる
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小鳥のさえずりや 秋の夜の虫の音にも それぞれの意味が込められている 人間は それらの意味を知らずとも 何の損害もないし 知っていたらかといって 大きく得をすることもない だから 人間は さえずりや虫の声に 自分勝手な解釈をしても 何のことはない ところが 当の小鳥たちや 虫たちにとっては 勝手な... 続きをみる
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命の尊厳は存在するのではなく 命の尊厳は守るものである アプリオリなものではなく アポステリオリなものということ「かもしれない」 「かもしれない」 とつづるのは 命の尊厳がなければ 命も生まれなかったのだろうから はなから 命の尊厳があったとも解釈しうるからだ 蛇の死骸が道端に放置されていた この... 続きをみる
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私の心臓と 私の肝臓が 助け合いの関係を反故にしてしまうと 私は死ぬことになる 助け合いの消滅と共に 私も死ぬのだ 社会において 人と人の関係を維持させているものに 法律がある 法律は 個人に対し 「自由の剥奪」として作用し この結果としての社会秩序を通じて 「個人を保護する」という効果を発揮して... 続きをみる
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往々にして 自由は対立を生むので争いの元になる この対立を避けるための統制は 不満の元になる やがて、この不満は自由を求めるから 結局、統制も争いの元になる 争いを避けようと 自由を与えても 統制を敷いて平等を標榜しても 争いへの道は閉ざされることはない だから 人間は考え続ける葦になり 右へふら... 続きをみる
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プラナリアには 大きな再生能力がある 身体の大部分を失っても 元の身体を再生できる 軟体動物である ウミウシにも再生能力がある プラナリアは数センチの扁形動物で ウミウシはそれよりも2周りの3周りも大きい軟体動物だ トカゲのしっぽ切りのトカゲは爬虫類だ 爬虫類と言えば ワニの歯も何回も生え変わると... 続きをみる
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イモムシにも 神経がかよっている 小さいけれど脳もある 仮に その脳と私の脳を繋げるインターフェイスが あったとしよう 私は これをイモムシに繋げてみるだろうか? 私の意識が イモムシの中に入り込む まあ これはいいだろう 逆に イモムシの意識が 私の中に入り込む このことに対して 私は どれだけ... 続きをみる