恒常的状態:目を瞑る
およそ5億年前のカンブリア紀に
化石動物の多様性が飛躍的に拡大した
複眼が発達したことで
獲物の動作をはっきり観察できるようになり
捕食の仕組みを様々に工夫できるようになった
逆に
逃げる方は逃げる方として
複眼が発達したことで
捕食者から素早く逃げる工夫を
様々に凝らすことができるようにもなった
捕食者と被食者が
互いに工夫に工夫を重ねながら
多様性が増していった
動物は
5億年も前から
周りの目を気にしながら生きて来たらしい
このように
周りを見つめ
見つめられていることを前提にして
様々な工夫が発達し
多様で複雑な生き物が生まれてきた
だから
目を瞑れば
もっともっと単純に命と向き合うことができるのだろう
カンブリア紀の前
6億年前のエディアカラの動物たちは
カンブリアの動物に比べ
ぼんやりとした感覚しか持ち合わせず
平和に暮らしていたと想像されている
ぼんやりとした感覚の中で
餌があれば食べて増え
餌がなくなれば死んでいった
生命はそれでは飽き足らずに
死なずに済むように様々な工夫を凝らし
進化してきた
そんな風に進化してきた生き物なのだから
目を瞑り瞑想をしても
煩悩はなかなか消え去るものではない
ぼんやりとただ生きているようにはできていない
禍の種を見つける目が
目を瞑っていても暗躍し続ける
生きるためには
すごくよくできた工夫で
この暗躍している目を瞑れば
命を粗末にすることなるのだから
そうそう
この目を瞑れない
ガンジーが実践した
無抵抗による抵抗のように
ある意味
平和というものは
生命にとっては過酷な行状ということなのだろう
何か禍の種があると
アドレナリンが上がり
生命活動が一気に活発になる
活き活きとしてくるということだ
瞑想は
ばねを縮める行為なのかもしれない
目を瞑ると見えるありがたさがわかるように
禍を見つける目を瞑ると
それを欲する心と向き合える