ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

自己機械化現象:義務の承継と自由


一個人の人間は
言葉に意味を強要できない


意味を強要しているのは
人間ではなく言葉の側だ


人間の群れが創り出した
言語システムが主体となり
個々の人間は
そのシステムの部分として
言語世界に奉公している


人間は
この装置の部品として
今ある
文字の形と音と意味の関係を尊重し
これらの間の関係が
自由で一時的なものにならないようにしている


ある意味
文字の形と意味は
婚姻関係の様だ


当たり前の話だが
「白」という文字は
この画面の背景である白色を意味するのであって
「白」という文字は
この文字の色のような黒色を意味するようなことは
あってはならない


婚姻関係でいえば
「白」と黒色が結びついたら
不倫ということで
非難される対象となり
「白」と黒色の関係は
いくら当事者の合意があっても
適切な関係ではなく
排除される対象になる


婚姻関係の当事者が不倫をしないのではなく
社会が不倫を攻撃し排除するのだ


こうして
何処からともなくやって来る義務が
自由を排除して
言語システムとしての機械が正常に機能している


逆に言えば
義務が崩壊すると
自由が顕れてくると
機械に不都合が生じたりする


社会が主体としての義務が崩壊すると
個人は
課せられた義務から解放され
自由になる、といったところだ


たとえば
好き勝手に道路を使えるようになり
赤信号も無視され
交通社会は混乱する


しかしこの自由は
真の自由ではない


個人が解放され
個人としての主体が
自らのための義務を履行できるようになっただけで
自由になったのではなく
別の義務を履行できるようになっただけだ


自由にはなれない


機械の宿命だ


言葉の諸関係が崩壊し
「白」と白色の関係も崩壊してしまうと
自由を謳歌し
白色のことを
「赤」とか「青」とかと表現してしまうようになるかもしれない


白色のことを
色々に呼び合っているうちに
「やはり同じように呼んだ方が便利で判り易い」
ということになり
「赤」と呼ぼうという派閥ができたり
「青」と呼ぼうという派閥ができ
「赤」派と
「青」派が
他方をもみ込もうと
様々画策してみたりする


こうして
「赤」派は「赤」派の義務を拡げようと
「青」派は「青」派の義務を拡げようと
それぞれ自由を捨て
それぞれの義務の普及のまい進するようになる


こうして
義務が広がってゆく


これが
言語システムの自己機械化現象だ


このような自己機械化現象の中で
義務が系譜として次の時代に伝えられ実践されてゆく


命や社会の系譜も
義務の承継の歴史だ


自由は
歴史への反逆であり
義務の承継への拒絶だ


別段、義務は承継される必要はないし必然もない


自由はこの真実の象徴だ

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