ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

自作因果律:連帯による集合的自己


刺激と反応の関係は
ホルモンとその受容体のように
刺激も反応も自己であるような場合もあれば
外部の刺激に自己が反応する場合
自己の刺激に外部が反応する場合がある


観察者から見れば
全ての刺激も反応も外部の存在だ


このように刺激と反応の関係は
①外部刺激→外部反応
②外部刺激→自己反応
③自己刺激→外部反応
④自己刺激→自己反応
といった組み合わせがある


①の例としては
縄張りをめぐるトゲウオのオス同士の戦いがある
赤いおなかが刺激になり
相手のオスが攻撃をするという反応を見せる


②の例としては
おいしそうな臭いが刺激になり
それを食べたくなるという反応が起こる


③の例としては
私が刺激となり
私を知る人があいさつをするという反応が起こる


④の例としては
ホルモンを刺激として算出し
受容体を活性化しているし
頬がかゆいという刺激に対して
右手で掻くという反応を返す


自己と外部をどう考えるかにもよるのだろうけれど
ホルモンとその受容体の反応は
どちらも自己ではないようにも思える
科学的分析による観察による知見だからなのかもしれないが
意識としての私が
私のホルモンの在り様を知覚しているからなのだろう


このように
自分の身体の内部のことを外部の出来事と感じることもあれば
逆に自分の外部のことを自分の出来事のように感じることもある


たとえば
同郷の人が活躍すると
自分が活躍したかのようにうれしくなる


たとえば
自分に発した言葉に他者が反応したり
その言葉と同じ他者の言葉に自分が反応したりしていると
言葉の刺激と言葉に対する反応は
自己を超えた共同体の中で行われている
外部刺激と外部反応の関係であるようでも
ホルモンとその受容体のように
自己刺激と自己反応の関係にも思えてくる


他人同士の会話は
外部刺激に対する外部反応であろうが
それを聞き取り
単なる声のやり取りではなく
その内容まで理解し反応できている自分も存在するから
単純に外部のやり取りには思えないところがある


言語のシステムを基準に考えれば
私も他者も自己だからなのだろう


細胞がたくさん集まって
身体として自己が形成され
ホルモンとその受容体がどちらも自己となる様に
言語システムの中で
私も他者も集合体としての自己に取り込まれ
自己刺激と自己反応を繰り返すことで
会話が成立していると考えられる


刺激とそれに対する反応の関係は
言葉とその意味の関係のような恣意性が背景がある
この恣意性から
関係を固定し普遍的な関係へと変質させるシステムが
言語システムであり
身体の細胞間でも
同じように恣意の普遍化による自作の因果律を駆使して
様々なシステムが複雑に適切に絡み合い
身体が形成されている


社会という集合的存在のなかで
恣意の普遍化に寄与しながら
社会人が活躍訳すればするほど
社会の連帯は進み
より一体なものとなってゆくのだろう

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