ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

局在と遷移:生きてゆくための習慣が育てる区別


生き物を殺すということは
罪深いこと


しかし
生き物を食べなければ
生きてはゆけないのが生き物


この葛藤を
習慣が鎮めてくれている


殺されてもよい生き物と
殺されてはいけない生き物が
習慣として形成され
殺されてもよい生き物を殺すことは
罪深くはなく
殺されてはいけない生き物を殺すことは
罪深いことにされてゆく


いじめてもよい人と
いじめてはいけない人も
同じように
習慣として形成されてくる


習慣は人間の反応の慣性だ


反応の定式化である


定式化することで
予想可能性が高まり
それに調和するように他の反応も定式化してゆく


殺してもよい生き物を殺すことは
罪深くないという反応は
こうした調和の産物であり
この殺しても罪深くないという反応が
殺すという反応を後押しする


こうした好循環が共進化の関係をもたらし
より洗練された
罪深さと殺生の関係が進化してきた


犬を食べるということは
鯨を食べるということは
牛や豚を食べるということは
こうして正当化されて来た


正義は反応の賜物である


反応そのものには
正義も悪もない


反応してしまうものだ


それに白黒をつけるところに
正義は生まれれる


調和に向け
白黒をつける


秩序が異なれば
異なる調和があり
異なる白黒が形成されて来た


クマノミとイソギンチャクの秩序も
殺されてよい生き物と
殺されてはいけない生き物を区別することから
生まれてきたのだろう


クマノミにも
イソギンチャクにも
正義があるのである

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