ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:魔法使いも修行をしている


魔法の力を借りて
身の回りにある物事を
私に都合よく変えてゆきたいと願うことがある


この願いの背景には
身の回りと私の間には
相性というものがある


この相性が良い時には
何も考えない


考えごとをするときは
大概
この相性が悪い時だ


そんな時に
魔法で身の回りを変えたくなる


でも
魔法は簡単には使えない


偉大な魔法使いの物語でも
最初は魔法をうまく使えずに
失敗を繰り返す


少しづつ
魔法に馴れ
思うように魔法を使えるようになるのが定石である


ああすればこうなる
こうすればああなる


様々な試行錯誤の中で
私を変え
身の回りを変えてゆく


魔法使いと言えども
自身を変えながら
身の回りを変える魔法を習得する


世の中の社会構造は
ある意味
魔法の仕掛けであり
手品の仕込みなようなところがある


この仕込まれた仕掛けの中で
魔法の修行ならぬ
世渡りの修行が行われている



世の中は
反応する空気である


そんな空気にあわせて
自らを鍛錬し
反応する空気の一部となってゆくのが
世渡りの修行である


変えるためには
変わらなければならない


同じままでは同じままである


変わらないことが勝ちならば
工夫は負けである


取り残されることが負けならば
変わりながらついてゆくことが勝ちになる


身の回りがあるということが
環境への適応を強いてゆく

生命と反応:「悪い子はどこだ」「ここだ。ここにいる」


何処の国にも
悪い子がいるらしい


そんな悪い子供に
この世のものならぬ恐ろしい化け物がやってきて
襲い
脅し
良い子になる様にしむけてゆく


子供たちは
そんな恐ろしい化け物から逃れたくて
泣き叫び
そして
良い子になってゆく


良い子になると
恐ろしい化け物は
その恐ろしさを次第に消してゆき
化け物が現れても
子供たちは泣くことも
大声で叫ぶこともなくなってゆく


化け物になれるのだ


そのかわりに
子供たちが良い子になるたびに
子供たちにも
泣きたいことや
大声で叫びたいことが増えてゆく


化け物が
泣くことも
大声で叫ぶことも許さないまま
泣きたいことや
大声で叫びたいことを増やしてゆく


そうして
子供たちの中に
社会の構造が染みついてゆき
面の皮が厚くなり
やがて
立派な大人になってゆく


大人になってわかったのだが
大人も子供とそう変わるものではない


厚い面の皮の内側で
悪い子が
相変わらず
厚い面の皮の間隙を縫って
何か悪だくみを企んでは
うずうずと目を輝からせる


私は
こうした何もできずに
うずうずと目を輝かせうずくまっている
内弁慶な悪い子たちを
憎めずに
愛し
だましだまし
日々を過ごしている


そんなある日
日が暮れたあと
暗闇の奥底から悪い子たちが一斉に現れて
騒ぎ出した


そんな悪い子たちに
「お前の方が悪い子だ」といじめられ
私は
独り隠れ泣け叫んでいた


何とつまらないことなのだろう


つまらないながらも
悪い子たちと縁を切れないものだから仕方がない


泣き叫び暮らしてゆくのも
諦めるより仕方がない

生命と反応:信念を持つという喜びと悲しみ


窓際の植木鉢で
シクラメンが花を咲かせた


夏に
葉を枯らし
死にかけていたシクラメンも
秋の訪れとともに葉を伸ばし
冬が来て
花を咲かせた


シクラメンは
葉の作り方を忘れてはいなかった


水を得て
太陽の光を浴び
栄養を造るそのやり方も
忘れてはいなかった


花芽を伸ばし
薄紅色の花弁を造る方法も
決して
忘れてはいなかった


こうした記憶と
その実践の総体が
シクラメンなのだろう


ボーヴォワール曰く
「人は女に生まれるのではない
 女になるのだ」


人は
記憶を取り込みながら成長するらしい


シクラメンが
全くもって
シクラメンのままであり
成長しないのは
記憶を取り込めないからなのだろう


逆に
シクラメンには
人間よりも
確固たる信念を持っている


そして潔い