ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:棲み分けによる共存というアウフヘーベン


反応の仕掛けを作ることは大変だけれど
仕掛けが反応するのは一瞬だ


ドミノ倒しも
仕掛けを作るのに
恐ろしく長い時間と労力を傾けるけれど
崩れ始めると
仕掛けは次々と反応し
止める間もない


生命は
そんな仕掛けを作り続けている


ドミノ倒しにどのような意味があるのか?
はたまた徒労であるのか?
という議論に結論を出す前に
ドミノ倒しを実践してみたり
あるいは
その議論に結論を出す前提として
ドミノ倒しを試行的に実践してみたりするように
生命は
その意味や
その徒労ではないかという議論を置き去りにしながら
実践を繰り返す


そうした
反応の仕掛けが複数集まり
繰り返される仕組みができている


繰り返されることで
この仕組みが維持される


ドミノ倒しを称賛する気持ちや
自分が仕掛けたドミノが倒れてゆく様を見てみたいという気持ちは
ドミノ倒しが繰り返される仕組みの一端ということになる


意味を求めたり
徒労を避けたりする気持ちよりも
ドミノ倒しを楽しむ気持ちが勝れば
ドミノ倒し愛好の仕組みは継続し
楽しむ気持ちが敗北すれば
ドミノ倒し愛好の仕組みは潰えるということになるだろう


意味はあろうがなかろうが
反応が循環する仕組みが成立していれば
この循環を形作るいくつもの仕掛けが作られ
循環の仕組みが維持されてゆく


たばこやお酒のような嗜好品に
意味があろうがなかろうが
また飲みたいという気持ちが
それらを飲む意味を上回れば
嗜好品は売れ続けることになる


核兵器や戦争も
その意義がないとしても
核兵器が欲しいという気持ちや
戦争をしたいという欲求があり
それに協力する人々が集まれば
存続してゆくことになる


人間を害する生物たちも
その存在意義がないとしても
その生物たちが生きる仕組みを維持すれば
存続してゆくことになる


核兵器や戦争と同様に
平和を維持する仕組みが維持されれば
平和に意義がなくても
平和が存続してゆくことになるだろう


戦争と平和が両立しないということになると
それぞれの仕組みが併存し
競合することになる


競合を避けるには棲み分けすればよい


棲み分けには
空間的棲み分けと
時間的棲み分けがある


戦争しているところと
平和なところがわかれていれば
それぞれ共存できるし
同じ場所であっても
戦争している時と
平和の時が交互に来れば
これまた共存できる


こうした棲み分けも
生命進化の過程で編み出された
アウフヘーベンの一種なのだろう

生命と反応:秩序化へ向かう自由と無秩序に向かう自由の綱引き


野放図な自由と
目標を選ぶ自由には
大きな差異がある


野放図な自由は
無秩序に向かう自由であり
目標を選ぶ自由は
秩序化に向かう自由である


ただこの秩序化に向かう自由は
目標を定めると
もはや自由は急速に消滅してゆく自由である


目標を達成するために
様々な努力を重ね
仕掛けを造り
人事を尽くして
実践において
天命を待つということになる


この実践への道の過程で
邪魔が生じれば
それを除去することもまた
大事な仕掛けづくり問うことになる


争いが
生じるのはこうした時である


相容れない目標を掲げることは
目標という予定の段階では
両立できる


しかし
その目標に則り実践するということになると
相容れない部分が支障が現れることになる


どちらかが
実践を放棄しなければ
目標を実践できないということになると
相手の目標を持つ自由を剥奪するということも
目標実践のための小目標ということになる


こうして
目標を選ぶ自由が縮小してゆく


大きな目標を達成するためには
犠牲がつきものだということなのだろう


この犠牲を良しとしなければ
大きな目標を妥協してゆかなければならない


アウフヘーベンや
中庸の思想は
このような妥協を通して
多様な目標を
実現可能とするような環境を整備する考えなのだろう


目標を実践するために
全力を尽くさなければならないが
力を弱めるべきところもある


あえて
力を抜く


赤信号を見てブレーキを踏むようなものである


一分一秒でも早く目的地に着きたいのをこらえ
ブレーキを踏む


こうして
野放図な自由も
目標に向かう自由も
抑制されながら
多様性を拡散させながら
秩序化が図られているようだ


多細胞生物の
多機能集合体が思い起こされる

生命と反応:予定があり実践があるということ


物質の自由落下する性質に抗い
飛行機が飛んでゆく


この飛行機を構成する物質が
落下する自由を捨て
飛ぶことに全力を尽くしている姿を
乗客たちは
称賛しなければならないだろう


エンジンが生み出す推進力が
翼で風を切ることで揚力が生まれる


この揚力で
飛行機は自由落下する本来的性質に抗い
飛行し続けることが出来ている


だから
エンジンの不調により
翼が生む揚力が低下すると
飛行機は飛行できなくなる


エンジンは
飛行していない時にも
推進力を生むように設計され
仕掛けとして整えられている


このような
規制された不自由な仕掛けがあり
推進力を発生させる実践が可能となっている


エンジンを分解して
その部品を全て床に並べておいても
このような推進力は生まれない


規則正しく並べるよりも
より高度で秩序だった組み立てがなされ
はじめて
エンジンとなり
その機能を発揮することになる


エンジンとなるべく予定され
製造された部品たちが
集められ
組み立てられ
推進力を発生するという実践が可能となる


様々な予定が
組み合わさり
初めて実践に至る


実践の前に
予定が実存している


そして
実践がうまくゆくと
その予定が繰り返される


ここで
実践の後に予定ができる


予定と実践の循環の中で
エンジンは進化してきた


飛行機も進化してきた


別段
飛行機はなくても良いものだった


在ればよいものだった


それが
なければならないものになってきた


飛行機の躍動は
なくても良いものが
なければならなくなったということであろう


生命の躍動も
同じようなものであろう


予定と実践の循環の中で
生命は進化し
なければならないものとして存在し続けている


わたしも
私の予定の中で不自由を感じながらも
何とか自由の枠を広げようと苦労を重ねている


この苦労が日の目を見ると
その苦労を続けることが
ごく当たり前の
なければならないものになってゆくのだろう


それが私の躍動ということになる


自由の地平から
機能の地平への躍動である