ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

脱中心化:生命のSDGs


生命である限り
死ぬのは当然にあることである


しかし
人間の死は
無いもののように扱われ
死が特別な例外として考える傾向がある


「死は当然である」が本当であるならば
「死は特別な例外である」というのは嘘であるが
ただの嘘ではない
願いが込めらた貴い嘘である


この貴い嘘を真実として実践するために
さらに貴い嘘を上塗りして
嘘を本物のように扱い
「死は例外である」という嘘が
真実であるかのような現実を演出している


このようにして演出しているのは
何も
人間に限ったことではない


どんな生命も
死を否定しながら
「生きている」という特別な状態を生き抜いている


無論
演出に失敗して死んでゆく生命もたくさんある中で
演出を成功させている生命が
地球の表面を蠢いている


進化は
この演出の表現力の差異により
淘汰選択され
演出が選別されてきた結果だ


舞台により
その舞台に適した筋書きがあり
その筋書きに適した表現力が選択され
不適切な筋書きや
不敵さ津名表現力は淘汰されてきた


こうして
春には春の表現が
夏には夏の表現があり
秋には秋の装いがあり
冬には冬の装いが生まれてきた


真実の中心に嘘が渦巻き
命が躍動しているのかもしれない


本物となった嘘が
いくつもの真実を装い躍動しているのだ


その真実をはぎ取ってゆくと
その真実により覆われていた嘘が顕わになり
生命は死に近づくのだ


真実という名の嘘を
うまく装いながら
「死は例がである」とうそぶき続け
どこまで生き伸びてゆけるのだろう?


試行錯誤の連続や
思考錯誤の連続を
いつまで続けてゆくのだろう?


SDGsの葛藤を
生命は数十億年続けてきた


これからも
なんらかの生命が
永らく続けてゆくに違いない

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