ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

脱中心化:老化という脱中心化


自分だけの保身のために嘘をつくことは
みんなのためにならないけれど
みんなのために嘘をつくことは
みんなのためになる


嘘でも
良い嘘と悪い嘘があって
社会を維持する為に必要な嘘は理由をつけては守られて
保身のためにつく嘘は
嘘で維持されている社会の中でさえ糾弾される


このように取り扱われることになる
良い嘘と悪い嘘の境界線があいまいだから
子供は「大人の社会は汚い」と感じてしまう


大人の都合や
大人の事情で
良い嘘と悪い嘘が使い分けられているから
子供の都合や
子供の事情からすると迷惑な時があるからだ


子供が創る社会に大人が暮らせば
たくさん不便なこともあるだろう、などと
歳をとり思うことが増えて来た


電化製品の使用方法として書かれた文字が
小さくてよく見えない
そのうえ
理解しがたいカタカナが増えて来たからだ


標準からズレて来たのだろう


社会の中心たる標準に正面から向き合い
そこに向かい自分を正す能力が低下してきてしまった


私の都合や
私の事情で
良い嘘と悪い嘘を使い分けるようになってしまっているのだろう


私の中心は
みんなの中心ではないのだけれど
そのことをあまり考えたくなくなるように
人間は年老いてゆくのだろうか?


まるで
ありのままの赤子に
戻ってゆくかのようだ


人間の中心たる標準は社会にある
果たしてそれで良いのだろうか?


良かれ悪しかれ
子供のわがままや
老害を排斥しながら
社会の中心は未来へと変遷し続ける

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