見たいと思うものがあり 会いたいと思う人がいる こうした思考が 私の身体を動かす そして 動いた身体が 私の思考を刺激して 新たな思考をもたらしてくれる その新たな思考が 私の身体を再び動かす 時に 古い記憶がよみがえり 時に 眠らせていた欲望がよみがえり 思考が動き出し 私の身体を動かす 雪が降... 続きをみる
記憶のブログ記事
記憶(ムラゴンブログ全体)-
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棚の柱に横板をネジで止める おねじを 柱と横板に開けられた穴を通して 裏からめねじでおねじを止める こうした作業を繰り返し 梱包されていた棚を使える棚に変えてゆく 柱も 横板も ネジも それぞれ単独では果たせない目的を 棚となり達成することが出来る 梱包されていた棚の部品たちは 組み立てられ 初め... 続きをみる
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記憶がなくなれば 私は私らしさを失うだろう どんな人に共感し どんな考えに賛同するのか? 記憶がなくなれば 私は私らしさを失い 人に対しも 考え方に対しも 記憶がある時とは 異なる反応を示すだろう むろん 記憶を失っても変わらない反応もあるだろう 沁みついた反応は 記憶がなくなったくらいでは変わら... 続きをみる
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痛みを感じるということ 痛みは 一時のことで 痛んでいる時間が過ぎれば 痛みは無くなる しかし その痛みが記憶となり 無いはずの痛みが 私を苦しめ 私を規制する 過ぎ去った痛みに 私は苦しみ 畏れる 今はないものに 私の精神は苦しみ 畏れ逃げ惑う そうした記憶が 私を拘束し 私は自由を失う この不... 続きをみる
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昨日までも私の記憶を失うと 私は 新しい私となるのだろうか? 私は 私の記憶により維持されている きっと その記憶の維持に 身体が貢献しているにちがいないのだろうが その詳細を 私は知らない 私の身体の奥深くで行われているであろう 様々な現象のひとつひとつについて 私は知らされていない 何か異変が... 続きをみる
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リンゴという言葉を見聞きした時に 思い浮かべる色や形それに重さや味は 人それぞれなのだろう 私一人に限っても 時々で 異なったリンゴを思い出す このように思い出されるリンゴの全てが リンゴという言葉の意味なのだとして リンゴという言葉はあまりにも画一的で リンゴという意味はあまりにも多様だ 意味は... 続きをみる
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リンゴがそこにある それを見ている 頭の中にも リンゴがある 手に取ると 頭の中にも 重さができる 食べると 頭の中で 味がする 食べ終わると リンゴはそこにない 残された記憶は 物質は徴だと言っている 消化され吸収された物質は 私の徴へと置き換えられる 反応するということが 反応する側と 反応さ... 続きをみる
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私は 私の内部に 私の感情のレパートリーを 多彩に用意された状態で生まれてきた その多彩なレパートリーの中から 感情を選び取り 私は 泣いたり 笑ったり 不機嫌になったりしている このように 感情という現象を 選び取り実践している場所が 私の意識であろう 私の意識は 内部に用意されている現象を選び... 続きをみる
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人間は 記憶と共に生きている そして 記憶が導く未来を描く 描かれた 好ましい未来や 忌まわしい未来とともに 人間は生きている 未来を描く元の素材としての記憶が異なると 異なった未来を描くことになる そこで どのような記憶と共に生きるのかを 考えることになる 主義主張は このような過程で生まれてく... 続きをみる
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「おはよう」 そう呼びかけると 「おはよう」 と答えが返る こんな単純なあいさつの中にも 人間の幾多の機能が様々に働いている 声の質 顔の表情 反応の速さ遅さ 間合い等々 これらが読み解かれる そればかりではない 個体識別がされ 以前の「おはよう」と比較がされる 以前の「おはよう」がきちんと記憶さ... 続きをみる