「善」「悪」が 「好き」「嫌い」を押し倒し それを乗り越えてゆく 嫌でも 赤信号ならば停止しなければならないのである この義務の履行により 交通の安全が確保されている ここに 感情を押し殺し 思考を優先させる意義が生まれる より大きな好ましい状況を維持するために 小さな「好き」「嫌い」を押し殺すの... 続きをみる
善悪のブログ記事
善悪(ムラゴンブログ全体)-
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「好き」「嫌い」だけでやってゆければ良いのだけれど 「嫌い」を避けるために知恵を働かせると その結末に「良い」「悪い」が現れる たとえば 雨に濡れるのは「嫌」なので 傘をさす 傘をさし濡れなければよい傘で 濡れてしまえば悪い傘ということになる だから 穴の開いていない傘は「良い」傘で 穴が開いたり... 続きをみる
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戦闘を「好き」でしている人は そう多くはいないだろう 戦闘のシュミレーションゲームが流行るのだから 戦闘が「好き」な人はいるのだろうけれど 実際の戦場で 命を懸けて戦うとなると 戦闘シュミレーターも二の足を踏むだろう と 私は思っている 私は 死ぬのは「嫌い」で 皆 死ぬのは嫌だと思っているからで... 続きをみる
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「好き」「嫌い」で判断する時と 「善」「悪」で判断する時がある 「好き」を選べとうれしくて 「嫌い」を選ぶと辛くなる 「善」を選べば善良な人になり 「悪」を選ぶと下劣な人になる 「好きで善」なら幸せになり 「好きで悪」ならわがままになる 「嫌いで善」なら偽善となり 「嫌いで悪」なら悪のしもべである... 続きをみる
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肺で酸素と結びつき 体の隅々に酸素を運び供給する赤血球を 現在の科学技術では造れないけれど 魚も 鳥も 人間も 赤血球を造り続けている 生命40億年の歴史の重みである この歴史の中で 生命は 生きる術を試し続け 今も試し続けている 違う生きる術はないのだろうか? たくさんの生命が生まれ たくさんの... 続きをみる
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「うまい」 「まずい」 には 理屈はない 食べると害になるものはまずく 食べると栄養になるものはうまい という 理屈は在るのだろうが それは大枠のことで 日常普通に食べるものについては うまいものはうまく まずいものはまずいとしか言いようがない 味覚は 言葉よりも深淵の世界に存在しているということ... 続きをみる
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機能は 定型的な状態の変遷である 機能の性能は 目的と結果の合一性において評価される ところで 「目的」は何処から来たのだろう まあ 「機能」もどこから来たのかよくわからないから 「目的」がどこから来たのかわからなくても 仕方がなかろう 「必要」は 「目的」や「機能」をもたらすけれど 「必要」とい... 続きをみる
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機械は まともに動いている時には とても便利なのだけれど 故障すると 厄介者になる 車が故障して動かなくなると 車を放り出して その場から逃げたくもなるのだけれど 車の管理者として 車に繋がれ 鎖につながれた犬のように 車の周りをグルグル動き回ることになる こうなると 私が車を支配しているのではな... 続きをみる
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善悪は とどのつまり 権力者の手の中にあるという なぜか? 善悪が 秩序を維持するための観念であり 秩序の管理者が権力者であるならば そうなるのは当然だ ソフィストの考えだ ソクラテスは 今、目の前にあり 実際に首尾よく運用されているものにも 疑問を呈していたのだろう 「本当にそれでいいのか?」 ... 続きをみる
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ルパン三世は 捕まったとしても また逃げなければ 銭形警部も生き甲斐をなくしてしまう だから この世から悪はなくならない ・・・というわけではないだろう ゴキブリを悪として 殺虫剤を善として考えてみる 悪が栄えるのは あくまでも悪がその生命力を発揮して 生き延び 生殖して子を増やし続けているからで... 続きをみる